会議室旅行記

中国旅行記11(6):12月9日(1)青島・2箇所の市場見学(by 旅人のくまさんさん)

会議室
<2006年12月9日(土)>

 旅行2日目の、この日のメモからです。「7時起床、7時30分モーニングコール、9時ホテル出発、薄曇、朝寒し」でした。早目に1階のレストランで朝食を済ませ、付近を散策して来ました。2泊3日の小旅行では、今日が一番の観光尽くしの日です。朝は冷え込みましたが、天候は上々です。冷え込んだのも、天候がいいことの証左かも知れません。

<早朝の散歩>
 モーニングコールの時間には、既に朝の仕度が済んでいましたから、早めに朝食を済ませて、付近の散策に出掛けました。ホテルから東方面には何もないようでしたから、向かったのは、昨日と同じ西側方面です。
 朝の冷え込みは厳しく、コートを羽織っての外出でした。30分程を予定していましたが、西方面への散策は早々に終えて、ホテルへ引き返しました。そのホテルの前では、朝早くから出掛ける車が、既に玄関に横付けされていました。中々立派な車ばかりでした。
 そのまま部屋に戻るのも。時間が余り過ぎましたので、ホテルの前をやり過ごし、南側方面に向かって坂を登りました。台湾路と呼ばれるホテルの前の通りです。その散歩からも早々に引き返しました。

<市場見学>
 海外旅行の際に楽しみにしているのが、市場見学です。その国の台所事情と、自然環境が透かし見えるようで、興味が尽きません。今夏の旅行でもその市場見学が組み込まれていましたから、期待していました。
 9時にホテルを出発して、その市場はさほど時間がかからない場所にありました。露店と言った方が似合う、市場でした。しかし、そこで扱われている魚介類は、今海から揚がったばかりの活きの良さでした。新鮮な魚介類で、籠が満ち溢れていました。
 写真編にも掲載しておきましたが、貝類では牡蠣、アサリ、赤貝、帆立、サザエに似た巻貝、蟹類は渡り蟹と、それより一回り小さい獰猛な種類の蟹、蝦蛄(シャコ)など、魚ではヒラメ、太刀魚、マナガツオの他、ナマコもいました。
 この小冊子を書きながら知ったことですが、黄海は有明海と類似の干潟を持ち、韓国の仁川等とも生態系が類似しているようです。その干潟が、都市化、工業化の波で近年急激に減少し、環境問題が深刻化しているようです。また、渤海と黄海は同じ大陸棚を持ち、環境保護の面では、共通の課題を抱えているようです。

<二つ目の市場見学>
 最初の市場見学を終え、更に東方面に走って、二つ目の市場見学をしました。東方面は地図で確認したわけではありませんが、右手に海が見えましたから、それで判断しました。新市街を通り越し、付近に民家も無い片田舎でした。
 その市場は、通りから坂を100m近く登った場所にありました。開いているかどうか分からない時間でしたから、全員バスに残って、現地ガイドのグーさんが、その市場へ先行されました。
 その市場の入口でグーさんがOKのサインを出されましたので、全員揃って市場見学に坂を登りました。最初の市場とは違って、鮮魚ではなく、もっぱら加工食品を販売していました。内部の写真撮影はお断りされました。同行の方は、干物や海苔等をこの市場で買い求めていました。試食の品も置いてありましたが、魚の干物は少し干し方が浅く、生臭い感じが残りましたので、買うのは止めました。

<小魚山公園>
 旅行の前に徐さんが送って頂いた旅行計画書から引用して、小魚山公園について説明しておきます。
 『小魚山公園、元々青島休止外の普通の丘でした。以前は漁民達が魚と網を干すところでしたから、こう名付けました』
 『青島旧市街の全景を眺望する最適な場所ですから、1995年に公園が建設されました。公園面積は800平方米、頂上には閣高18米、屋根には、緑色の瑠璃瓦が使われた「覧潮閣」と呼ばれる建物が建っています』
 と、紹介されていました。現在では青島の十景に選ばれたり、省クラスの風致地区にも指定されているようです。その見所を紹介します。
 まず最初に、独逸租界時代の旧市街地です。オレンジ色の屋根の市街地が四方に広がります。壁の色も白か黄色系統に統一され、落ち着いた感じの欧風の町並みです。租界時代は不幸な時代だったでしょうが、折角残った歴史遺産ですから、この後も保存されれば、観光資源として大いに役立つものとなるでしょう。
 目を南側に向けますと、匯泉湾の眺めが一望できます。青島で一番の人気があると言われる第一海水浴場は、この湾に面しています。魯迅公園も、この湾を望む西側の一角です。その中に水族館もありますが、この場所からは良く分かりませんでした。パンフレットには、覧潮閣に登れば、迎賓館、青島駅、キリスト教会、小青島、水族館、海軍博物館、青島テレビ塔が眺望できると解説されていました。

<ドイツ公邸址、迎賓館>
 次の見学地は迎賓館です。小魚山公園とは余り離れていない旧市街地の中にありました。元は独逸公邸だった由緒ある建物です。1914年の第一次世界大戦での独逸が敗戦し、独逸租界時代が終了した後も、青島は日本の占領地として、苦労の時代を迎えました。帝国主義時代の日本から返還されたのは1922年のことです。
 青島紹介の公式ホームページらしきものがありましたから、その青島紹介を引用させて頂きます。
 『本来はドイツ総督の官邸でしたから「総督楼」か「提督楼」と呼ばれていました。1930年代から当時の国民党政府要人がよく泊まりましたから、迎賓館と呼ばれ始めました』
 と、その経緯が紹介されていました。更にその建築物については、
 『この建物はドイツの著名な建築家によって設計され、1903年に着工、1908年に完成しています。高さ30m、建築面積4,080平方米の建物は、100万ドイツマルクを費やして建てられました。その総督は、お金を使いすぎて、ドイツ皇帝にも怒られ、首になったそうです。建築全体は石造りです』
 と、紹介されています。総督が首になったエピソードは、この迎賓館を説明して頂いた、日本語が達者な案内の方からもお聞きしました。更に内装については、
 『内装は絢爛豪華で、厨房、会議室、ダンスホール、食堂、寝室のほか、噴水や水槽が飾られています。ライトも大量の天然水晶と宝石を使っています。ドイツ原産のピアノと時計は迎賓館の宝物です』
 と、紹介されています。天然水晶を使った照明器具の1枚が剥がれていた理由も、現地案内のガイドさんが教えてくれました。この建物を管理していた人が1枚だけ剥がしたようでした。ピアノはスタンウェイの銘がありました。ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並ぶ世界の名品の中でも、トップを占めるピアノです。独逸で発祥し、アメリカにも生産拠点が置かれました。
大きな柱時計は精巧で、今も現役でした。床に置いてありました。定時になると、それぞれ異なった音色を発します。更に説明を続けます。
 『中華人民共和国成立後、1957年、中国の最高指導者毛沢東主席はここで1ヶ月も泊まり、共産党高級幹部の会議を主催しました。また、青島を訪問する外国の使節もよく泊まりました。7、8年前、一般観光客は宿泊できましたが、今は青島市の文化財として保護されています』
 と、現在に至る経緯も紹介されていました。毛沢東は身長が180センチを超える長身でしたから、毛沢東が使ったベッドは、足の部分が50センチほど継ぎ足されていました。
 建物で興味が湧いた一つは、2階にあった温室です。鉄骨を使った建築は、当時としては先駆的だったようです。今でも立派に温室として機能していました。
 黒檀の棚に収めた瑪瑙や水晶等の飾り物のほか、書画を一杯に展示した部屋も見学しました。これは新作で、販売目的でした。飾り棚単位での販売もしますとの、現地説明の方のお話でした。

<桟橋公園>
 続いて公式ホームページからの引用です。まずは桟橋の景観評価からです。
 『桟橋は旧市街の青島湾に位置している青島の最も有名な観光スポットで、青島市のシンボルとも呼ばれています。青島ビールのラベルマークも桟橋の絵を使っています』
 と、最高級の褒め方です。更にその歴史については、清朝時代に遡ります。
 『桟橋の建設は1891年(光緒17年)から始まりました。当時の清朝政府は軍需物資の運送のため、この桟橋を埠頭として建設しました。中国海軍の創始者、李鴻章に桟橋と命名されています。1897年、ドイツの占領後は軍用埠頭として使用され、ドイツ軍は桟橋をさらに沖合へと延ばして、全長は350米となりました。1931年、当時の国民党政府が、また改修して、先端に中国伝統風格の回瀾閣を建造しました、1933年には総延長440米、幅10米となったのです』
 次第と桟橋が伸びて、現在の440mになった経緯が説明されています。私見ですが、浅瀬の青島の沖合に大きな船を接岸するためには、沖合まで桟橋を伸ばす必要があったようです。説明が続きます。
 『桟橋とつながっているのは青島のもっとも人気な繁華街―中山路です。桟橋から小青島の白い灯台と中国海軍博物館の軍艦が見られます。また、桟橋の夕日はとても魅力的です。見学時間は40分前後です。先の回瀾閣には、よく珊瑚などの海洋生物展示をやりますが、入場料5元前後です』
 と、締め括ってありました。今回中国旅行を始めて同行させて頂いた山本さんと、桟橋の先端にある回瀾閣を目指しました。吹き曝しの海上ですから、さすがに少し冷たさを感じました。しかし、耐えられないような寒さのレベルではありませんでした。
 回瀾閣までの桟橋の両脇では、珊瑚や貝などのお土産店に混じって、磁石を使った人形も売られていました。9月の山西省の旅行の際に、騙されてしまった人形でした。山西省旅行の時は、瞬間の動きが面白いので、つい騙されてしまいました。その人形は、透明の紐を使ってコントロールされていました。
約束の場所と時間に全員集合し、次の見学地に向かいました。

<カトリック教会>
 青島案内の公式ホームページは「キリスト教会=基督教堂」と「カトリック教会=天主教堂」を使い分けてありましたから、この小冊子でもその例に倣うこととしました。ホテルの部屋にあった無料観光案内冊子の「青島指南」でも同じ記述でした。公式ホームページからの引用です。
 『青島にはドイツ占領時代に建てられた多くの西洋建築が点在しています。これは青島の一番魅力的な存在です。この天主教堂も有名な建築の一つとして知られています。にぎやかな中山路繁華街に聳えて、とても目立っています』
 と、その立地について説明され、教堂建設の由来については、
 『天主教は19世紀末、ドイツ占領時代にこの地に伝えられました。外来の宗教ですから、最初には中国伝統文化と衝突が発生し、1897年ドイツ宣教師が山東省で暗殺された事件を理由に、ドイツ軍は青島を占領しました。1925年には青島教区が設立され、1932年に、この教堂の建設を開始、1934年に完成しました。塔高は60米、塔上には4.5米の巨大な十字架、正面は青島花崗岩から作られた重厚な建築物となっています』
 と、説明されていました。異教との軋轢が大きな事件となり、青島が独逸に占領されたようです。帝国主義が世界を席巻していた時代です。建物は外光をふんだんに取り入れ、明るい雰囲気を持っていました。中国の現代の若い人にとって、カトリック教は無縁の教えのようです。今は、デートスポットになっていて、係りの方が見回っては、注意をしていました。そのカトリック教会の付近は大掛かりな工事中でした。その理由は、
 『中山路改造工事は完成したら、天主教会の手前には広場が出来上がり、この周辺にはバーの専用地域ができます。現代のおしゃれと歴史の重みがよく融合したら、ふさわしい雰囲気があると思います』
 と、紹介されていました。新しい観光スポットとして生まれ変わる途中でした。

<自由行動、市内散策でデパートへ>
 カトリック教会は、旧市街地を南北に伸びる中山路の東の小高い場所に建っていました。見学を終えた後、西向きに坂を下り、中山路に出ました。ここで、解散し、暫く自由行動となりました。再集合は中山路の西側に面したマクドナルドのお店と決まりました。少し風が出て冷え込みが厳しくなりました。
 中山路を北に歩くとお洒落グッズの専門店、南に下ると百貨店がありました。道路工事や、町並みを撮影した後、南側に歩くことにしました。少し冷え込んできましたから、ビルの中に入るのが一番です。
 5分と歩かない内に、百貨店のビルが見付かりました。早速入店し、地下1階へ移動しました。食料品が置いてあるとの見当でした。その見当は当たっていました。地下にはセルフサービスのお店と、これとは別の専門店がありました。
 専門店と言っても、お茶を買いたかっただけです。烏龍茶と花茶です。買い求める前に、一通り地下のお店を回りました。その中のお店の1つで、目的の品を買い求めました。買物リストを伝票に書いて頂き、それを共通のレジで支払った後で、品物を受取るシステムでした。
 買物後も、少し時間がありましたから、デパートの上の階も見学しました。エレベータではなく、エスカレータに乗って7、8階あるデパートの最上階まで登りました。
 一通り見学した後、約束の集合時間に余裕を持って、マグドナルドのお店に向かいました。

<青島麦酒博物館>
 青島は、青島ビールによって知名度が高まったとも言われています。私も、これまでの中国旅行の際は、決まってチンタオピーチュ(青島麦酒)を注文していました。置いてない場合にだけ、その他のビールか、地ビールでした。
 青島紹介の公式ホームページからの引用です。最初は、青島麦酒の生い立ちと、日本に買収された時代のことです。
 『青島ビール工場は、1903年ドイツ人によって創立された中国一番古いビール工場です。1916年日独戦争で青島を占領した日本人は、青島ビール工場を買収し始め、1945年まで29年間経営しました。ここでは朝日、麒麟麦酒を生産しました』
 1945年は、第二次世界大戦で日本が敗戦した年です。その後、
 『1949年の中国解放後、青島ビール工場は国有になり、初めて世界へ輸出を開始しました。いまの青島ビール集団は年間生産量200万トンにのぼり、中国一です』
 と、今日までの歴史が敷衍されています。ただし年間の生産量は300万トンで、世界48カ国に輸出されていると、現地でお聞きしました。次は、歴史館の説明です。
 『ビール工場見学の時、青島ビール歴史展示、ビール生産過程が見られるだけではなく、一時間前に作られた濁りビールと新鮮な生ビールが飲めます。第一ビール工場は歴史が古くて、1903年の建物が現存しています。2003年青島ビール100年記念のため、2600万元を投資して、青島ビール博物館を成立しました。第二ビール工場は新しく作られた工場で、世界最新の設備を使っています』
 と、続きます。ホームページには2600元と記載してありましたが、2600万元の誤記でしょう。これですと、日本円換算で約4億円ですから、現地の展示内容から見て妥当なようです。
 ところで、青島麦酒博物館見学の感想です。実に良く整備され、分かり易い展示でした。案内人を一切置かず、現地ガイドさんが説明をしてくれました。いい意味で、合理的な、お仕着せの無いシステムでした。
 唯一、係りの方がいたのは出来立ての生ビールを注いでくれたコーナーでした。出来立ての生ビールが、これほど円やかで、きめ細かな泡を持っているとは、改めて青島麦酒の美味しさに脱帽しました。
 100年前の設備を見学用に改造し、最新設備が同じ敷地内に建設されているのも、好感を持てました。最新設備があるからこそ、美味しい出来立てのビールが飲める道理です。最新設備はガラス窓越に眺めただけですが、ステンレスのタンクが使われた、ぴかぴかの工場でした。
 公式ホームページの引用でも記しましたが、2003年に青島ビール工場は、創立100周年を迎えました。それを祝ってのお祝いの品が飾ってありました。通路に沿って展示された品々は、中途半端な数ではありませんでした。
 国内の関係者、団体だけではなく、海外からのお祝いの品々が多くありました。何枚か撮影しましたが、写真編への掲載は割愛しました。次の黒檀の額に納められた写真等です。ホールでセレモニーが行われ、席が空いていませんでしたから、ここで生ビールを飲むのは諦めました。

<泊まったホテルでの結婚式>
 青島麦酒博物館見学の後、一旦ホテルへ戻りました。夕食の時間までは少し時間があったためです。部屋へ戻り、テレビ番組をデジカメに納めながら時間を過ごしました。
 待合せ場所は、ホテルのロビーでした。ソファーに座って暫く待ちましたが、その中に玄関の辺りが騒がしくなってきました。このホテルでの結婚式が、その理由である事が直ぐに分かりました。何度かエレベータに乗ったり、1階のお店を覗き回っている内に、披露宴の式場が、1階のエレベータの奥にある事が分かっていました。
 玄関前に赤絨毯が敷かれ、軍楽隊が奏でる音楽が何度か流れると、新郎、新婦の車がホテルに到着しました。その時を見計らって、大きな音を立てて、赤い紙吹雪が空に舞い上がりました。その光景を眺めた後で、夕食のレストランへ向かいました。

<火鍋の夕食>
 マイクロバスで送って頂いたレストランは、「燕京」のネオンサインの看板がありました。今日のメニューは火鍋料理です。
 中国の火鍋料理で印象が深いのは、黄龍、九寨溝旅行の帰りに立ち寄った重慶での四川風火鍋料理が、強く印象に残っています。20回以上の韓国旅行で辛い料理には慣れていましたし、むしろ大好物になっていましたから、本場の四川料理に感激しました。
 話が逸れついでに、四川料理の話を続けます。上海での創作四川料理も、それ以上に強く印象に残っています。上海旅行の時には毎度立ち寄りました。今でも、その四川料理を食べるために、上海旅行をしたい思いに駆られます。ともかく、上海は私にとって、楽しい思い出が一杯詰まった宝物のようです。
 話を戻します。この日の夕食は、誕生祝の方がお見えになりましたので、お祝いのケーキに蝋燭を点しての晩餐となりました。私は、5年物の紹興酒のボトルを注文して、この夜の晩餐を満喫しました。


  露店の魚市場で
 黄海の恵は露店に溢たり活きし蟹あり貝も魚も

  小魚山公園で
 小魚を干たり小高きその丘に登て望む租界の屋並

  迎賓館で
 継足の毛沢東の寝台は長逗留の居間に猶在り

  桟橋公園で
 黄海の波は静かに治りぬ楼閣建る長き桟橋

  キリスト教会で
 キリストの教はこの地に細々と並ぶ尖塔街に聳る

  青島麦酒博物館で
 呑み慣し青島麦酒まろやかく泡柔に至福喉越す

【旅行時期】2006/12/08~2006/12/10
【エリア】青島
【テーマ】イベント・祭り
【投稿者】旅人のくまさん

イタリア旅行記(2):10月6日出発、名古屋からローマへ(by 旅人のくまさんさん)

会議室
<2000年10月6日(金)>

 名古屋を14時15分発予定のラウダ航空でしたから、朝はゆっくりできました。それで、いつもの旅行のときと同じように、ベランダの鉢植えにはたっぷりと水を遣っておきました。蘭の一種のデンドロビウムが主体なので、少々の水不足ではトラブルにならないので助かります。

<名古屋空港へ>
 西春駅まで、乗り換え無しの地下鉄に乗りました。ラッシュアワーの時間をとうに過ぎていましたので、車内は空いていました。大きな荷物があるときには有り難いことです。極力中身を減らしましたので、スーツケースはそれ程の重たさではありませんでした。
 機内の手荷物用として、今回は余り大きくないリュックサックを用意しました。背中に背負ってしまえば、両手が空きますし、荷物をホテルに置いた後の、小荷物入れで持ち歩くためのことを考えました。結果的に大変便利であり、今後も利用したいと考えています。今年5月の韓国1週間旅行の時のリュックです。このときは、このリュック以外には、何も荷物がありませんでした。

<名古屋空港>
 約束の時間には余裕を持って到着しましたので、空港ビル内を散策しました。シドニードオリンピックも済みましたし、しかも平日とあって、空港内の人は少ない状況でした。空港内の雑貨店で、買い忘れていた若干の雑貨品を買い込みました。
 予定の時間に毛受さんと落ち合う事ができました。今回の旅行を手配して頂いた中*興業の方が2名見送りに見えました。聞いたところによりますと、刈谷の**工事協力会の事務所で待ち合わせ、毛受さんの車でご一緒されたようです。帰りは、その車で、刈谷まで戻られるということでした。最初は公共交通機関を乗り継いで見送りに来られる予定だったらしいですが、Mさんからのお話しで、車に変えられたようです。
 と、言ったことで、その4名で昼食をご一緒しました。私も何度か使ったことがある、滑走路を見下ろすレストランでした。

<旅行前の説明会>
 何しろ大勢の旅行なので、出発前に会議室のような部屋に集合し、旅行の注意事項などや、宅配便でのお土産予約などの説明を受けました。スーツケースにも色分けしたリボンで目印がつけられました。我々の組は赤リボンでした。説明会場も色分けに従った単位でした。
 私の場合、金山駅で入手した宅配お土産パンフレッで、既に手配済みでしたから、お付き合いだけでした。
 「くれぐれもスリなどの被害に会わないよう、身の回りの荷物や、貴重品には十分に気をつけてください」
 との駄目押しがありました。予めイタリア旅行のポイントとして、留意はしていたものの、これには改めて気を引き締めました。

<フライト>
 予定より少し遅れて名古屋空港を飛び立ちました。機体は日本海を北上し、シベリア上空を飛んでヨーロッパに向かうコースをたどりました。時差は8時間ですが、10月末まではサマータイムとなっています。それで飛び立った後、直ぐに7時間だけ時計を戻しました。
 これから十数時間の長いフライトです。機内食はメニューが配られました。ディナーの場合は、チキンとフィッシュのどちらを選ぶか、若干の選択肢がありました。日本を飛び立つ時に昼食までを済ませていましたので、機内で昼食と夕食を取れば、イタリアへ着くまでに一日4食の勘定となります。
 予定ですと、ローマ空港への到着は、現地時間で21時55分でした。もし、途中ハバロフスクでの給油が必要だと、更に2時間余りかかるようでした。そんなスケジュールなので、夕食までを機内で済ませるようになっていました。西へ向かってのフライトは、薄暮の中を飛ぶような感じでした。もし、地球自転と同じスピードで同方向へ進んだら、時間が止まったと同じ効果になるはずです。
 目覚めている以上、4時間も経てば、空腹感も出てきます。それで4食となるのでしょう。飲み物はワインを楽しみました。勿論、高級ワインではないものの、白は辛口系統、赤も程よくタンニンが効いたミディアムボディ程度でした。それぞれにワゴンのフルボトルから、コップに注いでくれました。
 長いフライトでしたが、乱気流の影響も無く、極めて平穏な空の旅でした。途中での給油も無かったので、結構早い時間にローマに到着しました。夜眠れないと困るので、兎に角機内では、座席の前の液晶画面に映し出される映画ビデオなどで時間を過ごしました。到着した空港は、フィウミチーノ空港です。レオナルド・ダ・ビンチ空港の別名を持ちますが、こちらは余り使われていないようです。ひょっとしたら、外国からの観光客向けのサブネームなのかも知れません。
 ここからホテルまでは、1時間弱でした。色分けした組ごとにバスが迎えにきていました。まずは、無事に旅の初日を終えました


  旅立ちの時
 緯度近き国に旅立つ浅き秋その色見つめ留めおきたり

  イタリアへ向かう機中にて
 ビノビアンコ一つ覚のイタリアの言葉で頼むホワイトワイン

 西行の空の旅なり日暮ても白夜の如き夕日続けり

【旅行時期】2000/10/06~2000/10/13
【エリア】ローマ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

モンゴル戦記(その37) 内蒙古編(by きゃわださん)

会議室
7月24日

 朝6時起床。昨日の疲れがたまったのだろうか体がだるい。タクシーのオヤジがやってくると、なにやら興奮しながらチラシを見せてくれた。チラシを読んでみると、27日にシリンホトでくじ引きがあるらしく、特賞は25万元ということであった。オヤジは超やる気満々で、早くも25万元の使い道について考えていた。ということは、27日にはシリンホトにいくことになるのだろう。

 今日は、雲が多くて比較的風も吹いているので、大型の測定器を設置することにした。設置場所は、これまでの調査地探索の結果から、5連の農地にした。アクセスは比較的容易で、面積規模も申し分ない。バイインシルから5連の調査地まで行くのに一時間、設置に一時間半、結局10時半くらいにようやく実験開始という感じだった。

 午前中の仕事はこれだけでおしまい。設置をしてから、農地の近くに5連農民の休憩所のような建物に行って、農地で実験をすることと、一応、見ておいてほしいということを伝えにいく。ちょうどそこの親分のような人がいて、その人にしばらくの間だけ実験させてほしいと直接お願いをしたら、結構好意的に承諾してくれた。お礼に、タバコと、建物の緯度経度の情報を教えた。ついでにご飯を食べていけという話になって、そこで饅頭とおかず数品をいただく。

 一時間半ほど休んで、午後の仕事をした。結構時間がかかった。タクシーのオヤジが手伝ってくれればかなり早いのだが、自分からは決して仕事をしないようだ。

 4時半に仕事を終えてシリンホトに向かう。いつも通りにメール確認と国際電話をして6時半ごろになる。帰り道、タクシーのオヤジの奥さんがやっているアイス屋の問屋へ行ってアイスを買う。僕もひとつ小豆入りのアイスを買ってみた。緑色だったので宇治金時のような抹茶味かと思ったら予想外のメロン味で甘くてたまらなかった。

 7時半ころバイインシルに到着し、ホテルに荷物を置いてからタクシーのオヤジの家へアイスを置きに行く。そのまま晩飯を食って行けという事になって、オヤジの家で晩御飯を食べる。オヤジの弟がやってきて中国語でいろいろと質問を受ける。

 ホテルについて日記を書いていると、シェフとホテルのじいさんがやってくる。二人で飲んでいたらしい。酔っ払いながらも、日本についていろいろ質問をしてきたので一つ一つ答えた。シェフは、日本で働きたいと言うことを熱く語っていた。横浜中華街のことを話したら、かなり興奮していた。しまいには2人で大きなレストランを経営しようということになり、シェフの夢がめちゃ膨らんでいった。

 じいさんが寝る時間になったので見送ると、そのままシェフの部屋へ行くことになる。シェフの部屋は3階の会議室だった。シェフがビールとゆで卵を厨房から持ってきて、日本についての話の続きをする。日本の醤油やポン酢を持っていって味見させてみた。シェフも日本の味に関心があるらしい。話を終えてシェフの興奮が落ち着いたところで、11時ころ部屋に帰って寝た。

【旅行時期】2002/06/18~2002/08/14
【エリア】内蒙古自治区
【テーマ】大自然・動物
【投稿者】きゃわだ

サーリセルカ オーロラ紀行【1】(by jilllucaさん)

会議室
今回は私にとって初めてのヨーロッパ。
ヨーロッパと言っても北極圏、ラップランドのフィンランド・サーリセルカへなのでヨーロッパと言っていいのか・・・。
目的はオーロラとフィンランドから友人に年賀状を送る事。

今回は初めてのヨーロッパ、しかも極寒の地という事もあり個人手配ではなく飛行機と宿のみのツアーに参加することにした。
旅行会社は北欧専門のフィンツアー、現地3泊、飛行機1泊の4泊5日で旅行代金11万円+αと格安、代わりにサーリセルカのみでヘルシンキも空港にしか寄れない、しかも成田発。

<2006年12月17日>

今日はJALの特典航空券を使って成田までの移動になる。
伊丹13:55発のJAL3006便、機材はJAL EXPRESSのボーイング737-400、アメリカン航空とのコードシェアーのコネクション便なので
通常のチェックインカウンターではなく北端にある国際線用のチェックインカウンターでの搭乗手続きになる。
機は定刻の出発で約7割の乗り、伊勢湾くらいまで天気が良かったが東に行くにつれ下に雲がでてきた、最終進入はかなりの揺れ。
成田には定刻より若干早めに到着したがオープンスポットでのバス連絡だったので相殺されてしまった。
今日はスカイコート成田ホテルを予約している、バス乗り場から電話をするとマイクロバスで迎えに来てくれた。
ホテルまで車で約10分、どんどん辺鄙な所に連れていかれる・・・ホテル着、一番近いコンビニまで徒歩15分!!今日は前泊で特に用事はないのでここでもいいけど、動きにくい場所にホテルを造ったものである。


<12月18日>

いよいよ今日からが旅の本番になる、ホテル9:10発の送迎バスで成田第一ターミナルへ。
ツアーってのは初めてなもので勝手がいまいち分からないけど、指定されたフィンツアーのブースで行きのヘルシンキ乗り継ぎイヴァロまでの搭乗券と荷物のチェックインをすませて、近くの千葉銀行で両替をする「2万円で何ユーロになります?」「だいたい120ユーロですが、あと81円で125ユーロになりますよ」財布をみると小銭がちょうど81円あったので20081円を125ユーロに替えてもらう。
4階のショッピングゾーンの書店で小説を物色する、私は旅行に行くとき必ず小説を持っていくがあまり食指の動く小説が無く、結局妹に借りて途中まで読んでいた「のだめカンタービレ」の15巻と16巻を購入、まさかこんな所で生まれて初めて少女マンガを買うなんて・・・予想外。
ヘルシンキからの便の到着を見たいのでだいぶ早いがセキュリティーチェックを受けて出国する。
今日のフィンエアー073便(折り返し074便ヘルシンキ行き)は14番ゲート、定刻は10時到着予定だが20分遅れての到着だった機材はエアバスA340-300、初めて乗る機体なのでワクワクする、主翼部の胴体にサンタクロースがマーキングされている。
11:10頃から搭乗開始、今日は空いている4割くらいの乗りか。
11:50定刻前にプッシュバック開始、順調にRWY(滑走路)34Lに向かっていくが、ちょうど混んでいる時間なのか地上に40分近く留まり離陸したのは12:28だった。
この先、新潟、ハバロフスク、サンクトペテルブルグを経由するらしいが私の席は中央の通路側なので景色は期待できない、しかもA-340なのでパーソナルモニターが付いているがあまりいい映画もやっていないので消したままにしておき、「のだめ」効果かクラシックチャンネルを聞いて時間をすごす。
私だけでしょうか?エアバス製の機材に乗るといつもボーイング製に比べて何か居心地の悪さを感じてしまう、モニターも小さいし・・・飛行制御系の設計はボーイングをはるかに凌ぐエアバスだけに内装の充実をはかってほしい。
お昼はすき焼き、夕食はラザニア。
15時頃から変針が多くなりレーダーベクター(誘導)に入ったようだ、こうなると着陸は近い、15:31まだ太陽の残るヘルシンキ・バンター国際空港に着陸した、定刻にだいぶん遅れており、乗り継ぎのイヴァロ便の搭乗開始時刻まではあと9分しかないので少し焦せる。
早足でセキュリティーチェックを受け、入国審査・・・イヴァロ行きの待っている14番搭乗口に着いたのは出発予定時刻の16:15だった。もちろん東京便の遅れは伝わっておりたった今搭乗を開始したところだった。
イヴァロ便は自由席の為できれば早くから並んで搭乗を待ちたかったがどうしようもない、列の最後尾に並ぶ、私の後ろにも乗り継ぎ客が続々と現れるが、なんとか窓側席を確保する。
それにしても自由席って、ウエイト&バランスの計算はどうしているのだろう?少し心配になる、機体はエアバスA320、途中キッティラを経由しイヴァロに向かう、ほぼ満席である。
定刻25分遅れの16:40にプッシュバック、RWY22Rから16:50に離陸する、もう真っ暗、針路を北にとり上昇する。
17:40頃ケミの灯りが見えた頃降下開始、18:05にキッティラ空港に着陸した、滑走路、エプロン共にアイシードライの様だ、意外にも乗客のほとんどが降機した。
このまま出発かと思っていると何十人かがタラップを上がってくる、実はこの便キッティラ発イヴァロ経由ヘルシンキ行きの最終便も兼ねていて今乗って来たのはヘルシンキに帰る人々なのだ。
翼に凍結防止剤を撒き、18:41ランプアウト、45分に離陸する。
あと150kmくらいでイヴァロなので13000フィートで上昇をやめ巡航1分くらいですぐ降下に入った。
19:02イヴァロ着陸、フィンランド国内最北の空港である、先ほどのキッティラもそうだったが滑走路に滑走路中心線灯がないので精密進入はできない空港のようだ、今日はいい天気だが吹雪の日とかは大変だろうなと想像する。
ここからサーリセルカまではエアポートバスで20分程度、赤い立派なバスだがフロントウィンドはヒビがいっぱい入っていた、このバスがとばすとばす、この凍結路面を100KM/h位ですっ飛んでいく、最前列のベストポジションに座った私はかなりのスリルを味わった。
19:45分頃サーリセルカのホテル・リエコンリンナに到着、早速会議室のような部屋に通されツアーの現地駐在員の方から案内や説明を受ける、オーロラハンティング以外のアクティビティはこの段階で予約申込みをしないといけないようだ、私は昼間は町歩きの予定なので予約はパスし、日本でお願いしていたレンタル防寒着を受け取って部屋に入った。
部屋は20℃くらいに保たれていて快適、カラフルなカーテンのかわいらしい部屋でツインのシングルユース、バルコニーもありうきうきした気分になる部屋だった。
さて、先ほどの到着時から正直あまり寒さを感じていない、数値上は-15℃なのだが風がないためか3年間住んでいた金沢の冬の方が体感温度は低いんじゃないかと思う。
少し厚着をして外に出る、ホテル前では子ども達がそり遊びに夢中、ほとんどヨーロッパの人達で日本人はあんまりいなかった。
街路樹が凍っていて神秘的、サーメ教会もライトアップされていて綺麗・・・だが、この村意外に明るい!!かなり暗いところ探さないとオーロラ観測は厳しいと思った。
小一時間外に出ていたがもう夜の10時(日本時間朝の5時)・・・もう限界、今日のオーロラ観測はあきらめて寝ることにしよう。
明日晴れたらいいのに。

サーリセルカ オーロラ紀行【1】終 【2→
  • http://4travel.jp/traveler/jillluka/album/10113244/
  • 】に続く

    【旅行時期】2006/12/17~2006/12/22
    【エリア】サーリセルカ
    【テーマ】大自然・動物
    【投稿者】jillluca

    お江戸歩き(新橋・築地・銀座・日本橋界隈)(by 敏じぃさん)

    会議室
    昨年入会したKSSCの紹介です。

    KSSC(神奈川シニア社会参加推進サークル)は県社協の組織「シニア社会参加推進センター」の「情報特派員制度」に参加した人達の中から誕生した自主活動グループで、自らの手で豊かで、楽しい熟年ライフ創ることを目的として活動を始めたサークルです。

    そのアウトドアグループで行事があり参加しました、皆さん私より年輩ですが元気な方ばかりです。
    会員を募集していますのでご希望の方はホームページからお問い合わせください。
    入会金等は不要で会合の際、会議室の室料を参加者で割り勘にしています。(人数により変動しますが@50円~100円位です)
  • http://www.spin55.com/kssc/index.html

  • 【旅行時期】2008/09/26~2008/09/26
    【エリア】品川・新橋・汐留・お台場
    【テーマ】アウトドア・スポーツ体験
    【投稿者】敏じぃ

    会議室関連エントリー

    会議室に24インチHDMIモニタを

    ... さらに気軽に会議室に置ける値段になってきました。 これでもまだ高い、もう少し手軽な方法がよい、ということであれば、パソコン用の24インチモニタを会議室に常設するのはいかがでしょうか。 こちらもずいぶん安くなっています。 ...

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    社内公募で会議室名が決まった。7つの会議室にかけて、ディズニーの白雪姫、7人の小人の名前が各鍵質、mtgコーナーについた。七福神や北斗七星の各星の名前、二次の色名前などがあったが ...

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    トンデモフリークな創造論(科学的)再検証会議室

    ... Day Adventistsの非公認神父でもある創造論者 長谷川氏の「 創造論(科学的)再検証会議室 」に常連の"吉野務"氏がこんな書き込みをした: [創造論(科学的)再検証会議室]: 序の口のうちの一つを紹介・これにて失礼 投稿者:吉野 務 投稿日:2009年 2月 ...

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    会議室には鬼がいっぱい!

    ... raquo; 2009-02-21 00:17:11 会議室には鬼がいっぱい! テーマ: たわごと・独り言 仕事のこと。 今日(昨日)は、会議があり、松岡修造さま顔負けの熱い男・Aさんが、座長なわけで・ もちろん、会議室で事件が起こってるかのような盛り上がり ...

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    スター貸会議室、「1円会議室」キャンペーンスタート!
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    駅から徒歩3分以内の好立地に利便性の高い会議室を提供しております。 様々な用途でご利用いただいております。 様々なサービス・企画を行っております。 「1円会議室」とは、貸会議室の最初の1時間を1円で貸し出すサービスです。 短時間のご利用を希望されるお客様に ...


    取締役会直前、富士通会議室で何が…前社長辞任「真相」
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    午前9時からの定例取締役会に備えて自室にいた野副氏は、高層階の会議室に呼び出された。部屋には、秋草直之取締役相談役、間塚道義会長(現在は会長兼社長)ら6人の幹部がいた。 幹部の1人が、野副氏が「反社会的勢力」と付き合っていると指摘すると、野副氏 ...

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    諫早開門 賛否どう調整 与党検討委初会合
    朝日新聞
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    【鳩山日誌】4日
    MSN産経ニュース
    【午後】0時、執務室。12分、執務室を出て首相会議室。34分、首相会議室を出て執務室。35分から47分、平野氏。48分、執務室を出て、50分、官邸発。52分、国会着。53分、参院第1委員会室。1時、参院予算委再開。5時、参院予算委散会。1分、参院第1 ...
    【鳩山日誌】5日MSN産経ニュース

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